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“ソーシャルワーカー”としてのナイチンゲール

 ナイチンゲール40歳代最後(1869年)の著作に、『救貧覚え書』という短い寄稿論文がありますが、これはナイチンゲールの“ソーシャルワーカー”としての顔を知るのには不可欠の論文です。

 “ソーシャルワーカー”とは、社団法人日本社会福祉会の倫理綱領の前文では、以下のようなとらえ方をしています。
 「われわれ社会福祉士は、すべての人が人間としての尊厳を有し、価値ある存在であり、平等であることを深く認識する。われわれは平和を擁護し、人権と社会主義の原理に則り、サービス利用者本位の質の高い福祉サービスの開発と提供に努めることによって、社会利用者の自己実現をめざす専門職であることを言明する。」
 ソーシャルワーカーは、日本では「社会福祉士」と呼ばれ、1987年に国家資格化された専門職です。その仕事は「相談援助業務」であり、その対象は「社会的弱者」と呼ばれる人々です

 19世紀半ばの英国では、貧富の格差が顕著となり、その日の食物も手に入らない最下層の人々が増大する傾向にありました。そのため政府は従来の「救貧法」という法律を改正するなど、必要な対策を立てたのですが、莫大なお金をつぎ込んでも、一向に貧困者の数を減少させることはできず、彼らの生活を向上させることは至難の業でした。そういう社会情勢を熟知していたナイチンゲールは、根本的な貧困対策を提案した起案書を関係者に送るなどして、積極的に政府に働きかけました。その結果として1867年に「首都救貧法」が制定され、これにより英国の福祉(慈善事業)は大きく転換することになったのです。

 ナイチンゲールが起案した方針は
(1) 病人、心身障害者、老人や病弱者ならびに子供は、あくまでも別々に、それぞれの適当な施設に収容されるべきであって、現行のようにすべての人々を無差別に収容してはならない。
(2) 管理体制としては、一本化された中央管理体制が必要である。
(3) 病人や心身障害者などのケアと治療のために適切な施設を設けるには、土地や施設の統廃合が必要であり、これまでのように教区税に頼るのではなく、一般地方税の適用が不可欠の条件である。

 このような政策転換の柱を明らかにして、政府を揺り動かし通過した「首都救貧法」においては、ナイチンゲールの改革3原則のうち、(1)と(3)の2つが実現し、英国社会史にとって重要な史実となりました。なぜならこの法律は約80年後に“ゆりかごから墓場まで”と謳われ、世界の保健医療福祉のモデルとなった「国民保険サービス」につながる、その第一歩として位置づけられるからです。

 『救貧覚え書』のなかで、ナイチンゲールが強調した点“人が社会的弱者に対して援助するときの基本”についてです。

 
 われわれがまず第一にすべきことは、あらゆる病人(働く能力のない人々)に、彼らが治療や世話を受けられるような場所を提供して、彼ら全員を救貧院からそこへ移すことである。(中略)
 その次になすべきことは、飢餓状態にある人々に、彼らが自活していけるようにその方法を教えることであり、飢餓状態であるという理由で、決してこうした人々を罰することではない。

 ここでナイチンゲールは、貧困者を人間として対等な存在としてみています。
 当時の英国にあっては、同じ国内に“2つの国”があるといわれたほどに厳しい階級差が明確に存在しました。貧困者は人間の尊厳を剥奪された人々であり、哀れみの対象とはなっても、真の救済の対象とは考えられていませんでした。ナイチンゲールの視点は、人間をすべて対等な存在とみなしたうえで、彼らが自活・自立していける道を探り、その道筋を提供することが、本来の援助の姿だと述べたのです。
   
 体が丈夫で前科のない貧困者に関するかぎりは、彼らに対する救貧法の本来の目的は、彼らに罰を与えたり、食べ物を提供したりすることではなく、彼らを勤勉で自立できる人にするために、訓練を施すことである。それはある意味では、読み、書き、計算と言った国民教育の一野が引き受けるべき事柄であり、またそれは国民の間で“共通認識ができている良心のあり方、つまり道徳”を教えることによってなされていくことであろう。

 ここにナイチンゲールの救済観が明確に表されています。
 救貧の目的は、貧困者が教育を受けることによって、職を探すことができるようになり、具体的な仕事に就くことで、生きる方法を自らが身につけることにあります。ナイチンゲールは、今日の社会福祉士が活動目標としている「人間の尊厳を守り、自立と自己実現を目指す」というテーマを、すでにこの時代において、しっかりと訴えていたのです。

 そのナイチンゲールは、個人的な慈善事業は不幸な事態を収拾できないばかりか、むしろそうした事態を悪化させているとも指摘して、行政が組織的に介入しなければならないとも力説したのでした。ここに、今日的ソーシャルワーカーとしてのナイチンゲールの顔が、クッキリと浮かび上ってきます。それは時代の諸相をしっかりと見つめていたナイチンゲールの観察眼があったからこそできた、見事な発言であり、提案であり、実践案でした。

 ナイチンゲールの援助論の根本に流れていた思想は、それまでのように、ただお金や物を恵むという発想ではなく、その人が持っている力を充分に使って生きる、自立の道筋をつける援助にあったというのが結論です。


              
       

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