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ナイチンゲール看護研究所
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“統計学者”としてのナイチンゲール

 若い頃から数学や統計学という領域に強い関心を寄せて、その研鑽を積んだナイチンゲールは、当時としては最先端の知見と技術を修得し、かって誰も手をつけられなかった英国陸軍の衛生問題全般に対する適格な指摘を行うことができたのでした。

 “統計学者としてのナイチンゲール”という側面は、クリミア戦争における兵士たちの死亡の原因究明を、統計学的に立証したこと、および病院統計という考え方を確立したという点に求めることができます。

 事実の意味をしっかりと見極めようというナイチンゲールの思考は、
 
 クリミア戦争の最初の7ヶ月間に、病気だけを原因とする兵士の死亡率は年60%に達しましたが、この比率は、ロンドンの大疾病による死亡率よりも、コレラの死亡率よりも高い

   という事実でした。その事実を視覚に訴えようとして考案された図表が世に知られる「ナイチンゲールのバッツ・ウィング」(こうもりの翼)というグラフです。当時は、まだ棒グラフや円グラフが一般的に認知されていない時代にあって、ナイチンゲールは独創的な図を考案しているのです。

    
              ナイチンゲールのバッツ・ウィング

                                  

 この図は1854年4月から1856年3月までの病院における東洋の陸軍の1,000人あたりの年換算死亡率を示す。
・いちばん内側の円は「もし仮に陸軍の死亡率が、英国で最も不健康な都市マンチェスター
 と同じ死亡率であったなら、死亡率はどれくらいになるか」を示している。
・中心から第1、第2、第3の円までの距離は、それぞれ「1,000人あたり100人の死亡者」
 を示している。
・毎月の年換算死亡率は、円の外側に記された「月」の方向に向かう、円の中心からの放射線
 の長さによって表されている。
・これによれば、1855年1月の1.000人あたりの年換算死亡率は1,174人であり、これは
 1665年のペスト大流行の最大の死亡率を記録した9月を上まわるものである。

 ナイチンゲールが提示した数々の統計図表は、ことごとく特に英国陸軍兵士が置かれている生活環境について、その改善の必要性を訴えていましたし、ナイチンゲール看護団が戦地で行った病院環境改善と、本来の看護の提供という活動が、いかに兵士の回復力を高めることに貢献できたかを物語っていました。

 そしてナイチンゲールの環境改善の要求は、その対象を英国陸軍の兵士たちの生活から、一般病院に入院する患者たちの生活へ、さらに一般国民の暮らし(特に住居)の改善へと広がっていきました。究極の目的は不衛生な環境、不健康な住居が伝染病を生む素地とならないよう、人間が生きるに望ましい環境条件に改めること、そしてそこに確かな看護実践を存在させることにありました。この2点を強調することによって国民全体の健康を助長し人々を苦しみから救い、病院病などの疾患から生命を守ることができると強調したのでした。

 さらに、ナイチンゲールの統計学者としての優れた才能は、「病院医療に関する標準統計」の策定という側面からも見ることが可能です。これはまたナイチンゲールの関心が陸軍病院から民間病院にも及んでいたことを証明するものです。

 ロンドン市内の病院を調査した結果、各病院は独自の疾病分類方法に従い、その診察結果は統一的な様式に整理されていないことが分かった。また一般の利用を図るための患者の入院期間なども把握されていなかった。
 こうした欠陥を何とか改善しようと骨を折り、協力的な医師たちやフォー博士、また戸籍本庁の助力を得て、
  (1)まず病気の種類にしたがって疾患名の標準的なリストを作成し、
  (2)病院用の標準的な統計方式を定めた

 この内容は、1860年夏に開かれた国際統計学会において「標準病院統計方式」として紹介されました。ナイチンーゲールが提案した標準方式は、その後多くの病院で採用され1862年9月に発刊された『統計学会雑誌』にも掲載されるなど病院統計の標準化というテーマを広く医療界に訴えることに貢献しました。

 結果として、ナイチンゲールは統計学者として評価され、1874年10月米国統計協会はナイチンゲールを名誉会員に推薦し、その業績を讃えたのでした。ナイチンーゲールの持つ統計学的能力が、彼女自身の仕事を推進させるのに、大きな力となったのです。


              
      

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